HISTORY

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The Original Icon Since 1924

数々の高性能飛行機を戦前から作り出してきた川崎航空機工業。速度、操縦性、耐久性など、すべてに究極を追求する航空機産業をルーツに持つカワサキ・モーターサイクルに、日本の伝統が邂逅した。それが、およそ一世紀も時代を遡る1924年より、大排気量で高性能、高品質を謳い、当時、日本のライダーたちから憧憬の念を集めた「メグロ」。
空の覇者と陸の伝統が融合したとき、名車「W」が生まれた。

prologue
メグロ設立~二輪車生産開始

1924年に村田延治と鈴木高治というふたりの革新者によって、東京市大崎区目黒村(現品川区)にて創業した『メグロ』(目黒製作所)。創業から4年後の1928年には、三輪車用のトランスミッションを初めて国産化し、変速機メーカーとして高い評価を獲得。1930年代初頭には空冷OHV4サイクル単気筒498cm3エンジンを完成。また、独自開発した競技車両で、各地で開催される競技会等に出場し実績を積み上げ、1937年に、メグロ第一号車であるZ97型の生産を開始。完成車の生産が本格化していくのだった。

メグロ設立~二輪車生産開始 メグロ設立~二輪車生産開始
prologue
伝説の始まり
Z97型

メグロ初の市販モデル。Zは戦前の日本海軍における「奮励」を意味するZ旗に由来し、97は神武天皇即位紀元による皇紀2597年から命名されている。エンジンは空冷4サイクルOHV単気筒498cm3。ボア×ストロークは82×94mm。3速右チェンジのトランスミッションを採用する。最高出力11PS/3,600rpmを発揮し、最高速度は80km/hに達した。その高い性能が認められ、1939年には警視庁の白バイとして採用。国内大排気量車の雄として、確固たる地位を獲得した。

Z97型
1950
250ccクラス進出
ジュニアJ1

最高出力7PS/4,000rpmの空冷4サイクルOHV単気筒248cm3エンジンを搭載した、メグロ初の250ccクラスモデル。シリンダー内にプッシュロッドを収納、ロッカーアームにアルミカバーを被せるなど独創的なエンジンデザインを採用。リヤタイヤはリジッドマウントだったが、1951年にリヤサスペンションを備えJ2へ進化した。その後、Y字型タイミングケースを持ったS(1953年)、10PSに出力アップしたジュニアS2(1954年)へ発展。さらに、ホイールベースを10mm延長し(1,410mm)、リヤサスペンションのストローク量も増やしたジュニアS3(1956年)は、実用性が買われベストセラーとなった。

ジュニアJ1 ジュニアJ1
1955
並列2気筒エンジン登場
セニアT1

メグロ初の2気筒モデル。白バイ用として国産車最高性能を目標に設計、開発された。ボア×ストローク72×80mm、最高出力29.5PS/5,200rpmを発揮する空冷4サイクルOHV並列2気筒651cm3エンジンを、ダブルクレードルフレームに搭載。4速ロータリーミッションやスイングアーム方式のリヤサスペンションを採用し、最高速度130km/hを実現した。また、電気溶接など他社に先駆けた技術も取り入れ、フレームをはじめとした車体の精度が向上している。

セニアT1
1956
メグロZ系最終モデル
スタミナZ7

650ccにはセニア、350ccはレックス、250ccはジュニア、125ccにはレジナというクラス別のニックネームに合わせ、1956年に登場した500ccクラスの本車ではニックネームを公募。「スタミナ」とネーミングされた。Z97型から改良を続けられてきた空冷4サイクルOHV単気筒498cm3エンジンは、最高出力を25PS/4,400rpmまで向上。車体面では、リヤサスペンションをスイングアーム方式とした。その耐久性と信頼性の高さからセニアT1とともに白バイに用いられ、戦前から続くメグロZ系の最終モデルとして有終の美を飾った。

スタミナZ7 スタミナZ7
1957
最速ラップタイムを刻み優勝
第2回浅間火山レース

1957年に第2回全日本オートバイ耐久ロードレース、通称「第2回浅間火山レース」が浅間高原自動車テストコースで開催された。メグロは最大排気量クラスであるセニア級(500cc)のほか、ライト級(250cc)、ジュニア級(350cc)各クラスにレース専用車を投入、セニア級において上位を独占した。優勝したゼッケン57番の杉田選手は最高スピード賞(最速ラップタイム賞)を獲得するなど、レースシーンにおいても、スポーツブランドとしての存在感を示した。

第2回浅間火山レース 第2回浅間火山レース
1960
新たなフラッグシップ
スタミナK1

「スタミナ」のネーミングは、新開発のOHV並列2気筒エンジンを積むスタミナK1へ継承された。ボア×ストローク66×72.6mm、496cm3のエンジンは最高出力33PS/6000rpmを発揮し、セニアT1の後継車、セニアT2に比べ排気量が少ないにも関わらず2PSのパワーアップを果たしている。2気筒化しつつも車両重量は単気筒モデルのスタミナZ7に対し、わずか6kg増の210kgとした。最高速度は145km/h、ツインキャブレター仕様も受注生産された。

スタミナK1 スタミナK1 スタミナK1
1964
メグロの名を刻んだ最後のモデル
カワサキ250メグロSG

メグロを象徴する「OHV、ロングストローク」エンジンを継承しつつ、高出力化を図ったOHV単気筒248cm3エンジンを採用。最高速度は120km/h、ダブルシート仕様の設定もあった。カワサキ250メグロSGは1969年まで生産されており、目黒製作所が川崎航空機工業に吸収されたのち、メグロの名を最後まで車体に残したモデルといえる。ジュニア時代からの特徴あるスタイリングは、後年のESTRELLAのデザインに受け継がれている。

カワサキ250メグロSG カワサキ250メグロSG カワサキ250メグロSG カワサキ250メグロSG カワサキ250メグロSG
1965
カワサキ初の大型車
カワサキ500メグロK2

1960年のカワサキ・メグロ業務提携後に生まれたカワサキ500メグロK2。エンジンは、メグロが1960年に発売した同排気量並列ツインのスタミナK1がルーツである。川崎航空機工業内にて再設計されたカワサキ500メグロK2は、スタミナK1に比較し耐久性が大幅に向上したにも関わらず、車両重量は210kgから194kgに減少。また、最高速度は145km/hから165km/hに向上を果たしている。650-W1は、本車をベースにさらなる改良を加え、開発されている。カワサキは、本車製造に関し目黒製作所が持っていたパイプフレーム設計、加工技術、新鋭の加工機材を駆使。のちのカワサキ大型車に多大な影響を及ぼした。

カワサキ500メグロK2 カワサキ500メグロK2
1965_2
「世界最速」を目指して
650-W1

当時、海外の二輪市場のなかでも特に重視すべきはアメリカであった。125B8の対米輸出で端緒を開いたカワサキは、アメリカ市場の大型車志向へ対応するため、カワサキ500メグロK2の排気量をアップ。496cm3エンジンのボアを8mm拡げ、総排気量を624cm3にスケールアップした。最高速度はカワサキ500メグロK2の165km/hを凌ぐ180km/h超。0-400mは13.8秒という俊足を記録した。モーターサイクルの顔ともいえる燃料タンクのカラーは、アメリカ市場を考慮し、真紅のキャンディカラーと上質なクロームメッキという組み合わせを選択。それまで落ち着いた配色が主流だった日本産モーターサイクルのなかで、斬新と言えるデザインとなった。1966年2月より全米各地の展示会で大人気となり、発売前から注文が殺到。このW1により、カワサキはビッグバイクメーカーとして世界中に知られるようになった。

650-W1 650-W1 650-W1 650-W1
1967
世界進出の礎
650-W1SS/W2SS

北米向けに、現地のニーズに合わせたバリエーションモデルをリリース。サイドカバーにレーシングフラッグをイメージしたデカールをあしらい、弾けるような排気音のショートマフラーや、スポーティに短くカットした前後フェンダーを備えたW1SSを皮切りに、W2SSも開発。W2SSはツインキャブレターを採用し、吸気バルブを2mm拡大した38mm径に変更することで、47PS/6,500rpmだった最高出力は53PS/7,000rpmに向上した。

650-W1SS/W2SS 650-W1SS/W2SS 650-W1SS/W2SS 650-W1SS/W2SS 650-W1SS/W2SS 650-W1SS/W2SS
1968
ハイウェイ時代に対応
650-W1S

W2SSの日本向けモデルとしてリリースされたW1スペシャル(通称W1S)。ツインキャブレターとなり、最高出力はW2SSと同じ53PSとなっている。W1では速度計とタコメーターが一体式だったが、W1Sではセパレート型へと変更。ちなみに、W1S初期モデルまでのターンシグナルは前後両面レンズを持ったタイコ型と呼ばれる形状のものを、長いステーに取り付けたものだった。これはアメリカ法規に適合させたものであり、速度表示220km/hフルスケールの採用も含め、ハイウェイ時代が到来した世界市場を強く意識したものとなっている。

650-W1S 650-W1S 650-W1S 650-W1S
1968-2
北米で人気のスクランブラーを追加
650-W2TT

マフラーをアップタイプとしたスクランブラーモデル。クロームメッキの燃料タンクを、後期型ではオールペイントに変更。これは、後年のタンクデザインのひとつの転換点といえるものでもあった。Wシリーズで大型車ブームに先鞭をつけたカワサキは、同年に2ストローク3気筒489cm3のH1 マッハIIIの輸出もスタート。タンクはW同様ツートーンに塗り分けられ、大排気量車のなかでもひときわ異彩を放つ存在となった。

650-W2TT 650-W2TT 650-W2TT
1971
味わい深さが評価
650-W1SA

北米市場において、60年代後半からマッハシリーズが成功。1972年には900 スーパー4(通称Z1)がリリースされ、爆発的ヒットを記録。カワサキ=ビッグバイクとの認知がなされていった。その一方でWシリーズのバーチカルツインに対する人気は日本国内で根強く、右足シフトチェンジ、左足ブレーキペダルという英国式の操作を、左チェンジのドイツ式に改良したW1SAがヒット。味わい深いビッグバイクといえばW、という図式が確立した。

650-W1SA 650-W1SA 650-W1SA
1973
黎明期Wの最終モデル
650RS(W3)

1973年の650RS(通称W3)は、フロントダブルディスクブレーキをカワサキ車で初採用。日本国内では900 スーパー4(通称Z1)のダウンサイズ版である750RS、いわゆるZ2が登場し、ナナハンブームで沸いたが、テイスティなエンジンフィーリングのWは、特に伝統を愛する日本のライダーに高く評価され続けた。650RSは1974年に生産が打ち切られるが、販売終了が知れ渡ると新車にプレミアム価格がつき高騰するという、当時では非常に珍しい現象が起きた。

650RS(W3) 650RS(W3) 650RS(W3)
1992
メグロの再来
ESTRELLA

1992年に発売されたESTRELLAは、往年のカワサキ250メグロSGの意匠を色濃く反映したモデル。クラシカルなスタイルはその再来と評された。モーターサイクルらしいエンジンの鼓動や、豊かな中低速、排気音をゆったりと楽しめたエストレヤは、旧Wシリーズで評価された魅力を備えており、血を分けた弟分といえる。

ESTRELLA ESTRELLA
1999
W復活
W650

四半世紀ぶりに復活したWは、シリンダーが直立した空冷2気筒を新規設計。味わい深く独特なパルス感を生み出す360度クランクを採用、排気量は675cm3であるにも関わらず、ネーミングは650とし、新時代Wの象徴として登場した。初代Wの持っていたカムチェーントンネルのないシンプルで美しいヘッドまわりを表現するため、SOHC4バルブのカム駆動に、コストと手間のかかるベベルギア(傘歯車)駆動を採用。Wシリーズを名乗るのに相応しい外観を、エンジン単体でも表現している。ファイナルエディションが限定発売された2009年まで、幅広いライダーに愛された。

W650 W650 W650
2006
より幅広いユーザーへ
W400

2006年には日本の免許制度に合わせたW400をリリース。初心者の取り回しを考慮し、シート高を下げている。スピードやパワーといった性能至上主義から一線を画したテイスティな車体構成が好評を博し、新たなユーザー層に対するWシリーズの門戸を拡大した。

W400 W400 W400
2011
力強さを増したW
W800

W650の後継として登場。ボア・ストローク72×83mmのボアを5mm拡げ、675cm3だった排気量を773cm3にスケールアップ。低回転域からより力強いトルクを発生するエンジン特性とした。W650同様のトラディショナルな美しさが漂うスタイルと、ツインならではの小気味よいサウンドを奏でるマフラー。メーターは伝統的な2眼タイプ、前後フェンダーはクロームメッキ仕上げのスチール製、バフ研磨やクリアコートを各部に施し、Wシリーズにふさわしいディテールを受け継いでいる。2016年のファイナルエディションをもって生産が終了した。

W800 W800 W800 W800

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